私と甥の物語

甥についてはソウルメイト-セラピスト」というタイトルで過去に少し書いた事はありましたが、その後全く触れてきませんでした。

ブログの更新もほとんどしてこなかったのですが、色々な流れで不登校についての記事を書くようになり、そうなると私と甥についての関係性が非常に重要になる為、少しここで私と甥っ子RRとここから呼びます)について語ります。

 

私が今の仕事をするようになった最大のきっかけがRの誕生です。

Rがこの世に生まれなかったら私は全く別の道を歩んでいたと思います。

 

Rの母親は私の妹であり、本人に悪気は全くないのですが、姉である私や両親を困らせる事を色々とやるタイプの人間。

妊娠が分かった時、私は出産に断固反対!!!

何故か?いわゆる授かり婚で、私が色々と大変な目に合うのが目に見えていたから。

でも妹、両親は結婚&出産という道を選択。

両親と大喧嘩した私は何カ月も口を利かない期間があったり、とにかく心穏やかでない(友人たちや同僚たちに怒りをぶつけまくってました)月日を過ごしました。

 

*甥っ子Rが誕生

*諸々割愛、、、(ご想像にお任せします)

*数カ月後離婚。甥っ子Rを連れて実家に戻る。児童扶養手当を受け取るには給与を得ているの存在がNGの為、急遽実家を出て同市内で独り暮らしを始める。

*母親よりも女を優先するタイプの為、私と両親が甥っ子Rの世話をするのがルーティーン化。この頃ヒプノセラピスト催眠療法士としての活動を始める。

*諸々割愛、、、

*甥っ子R小学校入学のタイミングで再婚。再びの授かり婚の為、第二子出産までRは祖父母宅(=私の実家)から地元の小学校(私の母校)に通うことに。

*第二子(次男)誕生後、同市内で4人家族での新生活を始めるが、R曰く、祖父母宅や私の所が

本人にとっての「安全基地」の為、こちらの方に頻繁に入り浸る生活に。

*諸々割愛、、、

*小学校5年生終了と共にRの継父の地元、沖縄へ一家移住の為東京を離れる。

東京生まれの東京育ちのRと母親はあちらの文化や価値観に戸惑う。特に小学校での様々な出来事が母子二人を不安にさせ、公立中学校への進学に悩む。R本人の強い希望もありRだけ単身で東京に戻る事に。Rの母、第三子妊娠。

*祖父母宅で同居しながら市内の中学校(実家は途中で引越た為、私の母校とは違う学区)へ入学。

*そして悲劇の中学校生活が始まる。

 

 

甥っ子Rの誕生によって何故私がヒプノセラピスト催眠療法士になったのか、についての詳しい物語はまた別の機会に。